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*国連英検特A級*2012年6月一次試験を受けてきました*
一次試験: 試験終了の30分前に退席したけど、一応合格していた。
(最後まで解き終えても時間が余っていたので、もういいかなと思って帰宅した。)
国連の知識を問う設問は、たったの4点だった。(10点中)
やはり、事前の勉強って、必要なのだな、という事が判った。
一方、満点の項目もあった。めちゃめちゃ難易度高いという印象ではなかった。
高得点の人は表彰されるみたい・・。
ぜひ表彰されてみたい・・!
国連英検は、勉強するだけでも、グローバルイシューに詳しくなるから、お得だ、と思う。
国連のページって、ものすごく情報量が多い。
しかも毎日更新されている。
これは良い情報ツールを見つけました。
日本の外務省のページも参考になる。
この国連英検をひとつの目安として
まだまだ、国連英検特A級の勉強は続けます。
(試験マニアじゃないんだけど)
グローバルイシューに詳しくなるのだ。
しぜん、英語力も伸びて、情報発信力も、向上させる。
(そうこうしているうちに、表彰されるかも)。
今回の試験をひとつのきっかけとして、いろんな人の本を読んだ。
(国際政治とか、緒方貞子さんとか、国際問題の本とか)
いいかんじに視野が広がった気がする。感謝。
それから新聞の国際面も、真剣に読んでいる。
世界にはまだまだ深刻な問題がたくさんあるのだ。
明けましておめでとうございます。
「ちょっと話があるのでいいですか?」と会社で同僚(通訳者ではない)に言われて、
何かな?と思っていたら、
「○○さん(私)は、この数年ですごく成長をされていると思うのですが、どうやっているんですか?僕もがんばりたいと思っているのだけれど、なかなかうまくいかなくて・・・」
と言われて、びっくり!!
そのようなことを言ってもらうことも嬉しいことだけど、このようなことを率直に言えるような純真さに、心から、感動してしまいました。
みんながんばっているのだなあ、と思ったし、
近道なんてないけど、みんなもがきつつがんばるのだなあと思ったし、
私ももっとがんばろう、と思った。
ちなみに通訳者という人たちは、みんなものすごい量の勉強をしているし、分厚い資料の読み込みも妥協せずやるし、お金をかけて本を買って読み込みをすることも、いとわない。
私は通訳者としてはまだまだだけど、このメソッドは体に沁みこんでいるので
(通訳者としてだけでない普段の)仕事にも活かされているのかも。
おかげで、なんだかやる気が出てきました。ありがとう。
(これからももっとがんばろう!)
最近、興味のあることがあれば、率先して、海外の医薬論文にあたることにしている。
最新の知見を、ざっと眺められる。
英語を使うことに抵抗がないのは、普通に有利だな、と思う。
通訳とか翻訳とか、そちらのほうがメインの立場だったけど、
今は自分のために、情報を入手したり、整理したりしていて、
まんざら通訳の勉強は狭い領域のみで役に立つものではないぞ、と思う。
しばらく、通訳のことは忘れて、英語を英語のまま、日本語を日本語のまま、
理解する。それに没頭していたら、これまた、通訳もできるようになってくる。不思議と。
大きく情報をとって、全体像を理解する
通訳トレーニングをしていなかったら、なかなか難しいだろうなと、ふと思う。
通訳者って、大量の英文資料でも、ざっと目を通して、全体を知るもんね。
英文を読むスピードはんぱなく速いし。
そういうの、普通の人はなかなか難しいみたいよ。
さて、今週末から長期海外出張。欧州。
最近、医薬論文を大量にチェックしている。
仕事で必要に迫られて始めたのだけれど、
とても、勉強になった。
始める前は、暗中模索で、何から手をつけていいのか
何をしたらいいのか
分からなくて不安になる。
その心配をなんとかこらえて
自らいろいろ試して、
次第にコツをつかんでいって、満足できるようになる。
やってよかったと思う。
そのプロセスが好き。
医薬文献サーチ pubmed, EMbase
FDAとEMA 承認資料
FDA advisory committee (諮問委員会)資料
領域の勉強
疾患の主な国際ガイドライン
推奨されている薬物療法、具体的な薬剤名
添付文書は検索可能
競合品のメーカーの情報はホームページにあり
走っている臨床試験の情報はclinical gov.com
New England Journal of Medicineはアブストラクトの抄録の和訳あり。
それだけでなくピボタル試験の論文などでスタディのプロトコルダウンロード可能
上の数行は、製薬分野で通訳をするときの準備として、重要。
必須。
ヒントだと感じて
逃さず信じて
実行するか、しないか。
大きな違い。
今の仕事に就いて、まだ2年経たないけど、大変だった。
周りの人に支えられて、なんとかやってる。
人間関係がドラマチックになってきて、詳細は書けないけど、
怒ったり、感情をあらわにしたり、
私から謝ったり、過去のことを忘れて、やさしくなれたり
今まで自分になかった自己表現をしている。かっこつけている余裕がないし、
身の丈どおりに正直にせざるをえないので全力でぶつかることにしている。
時々感謝を忘れて怒ったり、謙虚さを忘れたりして、ばかだね私と思うこともある。
そういうとき決まって助けられるのはいつも人のやさしさ。忘れていてごめんなさい。
通訳の仕事とは
単語を覚えたり、トレーニングをすること 3分の1
知識と経験を増やすこと 3分の1
何が求められているのか知ること 3分の1
良い通訳者になる基本だと思う。
通訳学校ではクラスによるレベル分けがある。
「何センテンスの逐次通訳がこの精度で訳せたら、このクラス」
「更に数センテンス増えて、この精度とスピードなら、このクラス」
講師には評価の目安があり、厳密すぎるほど、レベル分けがなされる。
その世界に慣れると
「このクラスだから私はまだウィスパリングが出来なくて当然」とか
「この分野は未習熟だから出来なくても仕方ない」とか
無意識に自分で線を引いてしまうことに、慣れる。
「まだ上のクラスに行ってないんだから、私のレベルはこれくらいだわ」
と見積もりを立ててしまう。枠の中でものを考えてしまう。
で、社内通訳はそうじゃない。
世間で「私は通訳者です」と言ってみると、世間の常識はそうじゃない。
通訳者はなんでも訳せるし、なんでも聞き取れる
と思うのが普通の反応だ。
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社内通訳をやってみると、びっくりする。線引きがない。
せっかく同通の訓練したのに活かせてない、と思うこともあれば
びっくりするほど難易度の高いものを依頼されたりする。
私レベルの通訳者にそんな難易度の高い案件を頼んだりしないよ、ふつう!
とこっちは思うけど、頼むほうはそんなこと、知ったこっちゃないのである。
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「私の通訳レベルはこれくらいだから」と
枠を決め込むことに、慣れてしまっていると自分で痛感する。
もちろん、いきなり同通しろとか、公の場で公式に通訳しろとか、何の情報もなしにぶっつけ本番でやれ、とか、そういう技術的に無理な事ははっきり無理と言う責任があるし、代替案を出すし、改善できる主張ならリクエストを入れる。
例えば逐次の時は数センテンス発言したら通訳が入るからポーズを置いてね、とか
そういう基本的な注意事項はこちらから説明する義務がある。
ただ、基本的には「なんでもできるようになる」という姿勢で取り組まないといけないよなーと思う。
いつまでも、「通訳学校ではこうでしたから!」
なんていう言い訳が大きな顔して通じると思ってたら、大間違いだ。
「一体、いつまで自分に線を引いてるつもり?」
「いつ成長するんだよ??」
と自分にツッコミを入れたい。
こんなに難しいテーマのものができるか!?
と最初は必ず戸惑う。でもやりだしたら慣れる。
もう、その話が来た時点でチャンスだ。
スタート時に「私には出来ないかもしれない」と思いながらやるのは
もうよそう。
「私にも出来るとは思うけど、大変だなあ」くらいの感覚で取り組もう。
じゃないと出来るものもできなくなっちゃう。
しかもそういうチャンスは黙ってたら来てくれない。
自分の実力にぴったりで時期もばっちりで条件も完璧にそろっているものが、向こうから来てくれないかなと待っていても、当たり前だかそれは来ない。
誰かが「はい、これあなたにぴったり。どうぞ」と親切にチャンスを持ってきてくれることは
きっとない。
だからチャンスのサイズに合わせて、自分もデカくなっていかないといけないんだわ。
それはきっとエキサイティングで楽しいことなんだ、
と思う。
しかも通翻の世界は、30代でもまだまだ若造。
これから花開くこともある。
それはすごく嬉しくて、楽しいことだと思う。