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通訳学校ではクラスによるレベル分けがある。
「何センテンスの逐次通訳がこの精度で訳せたら、このクラス」
「更に数センテンス増えて、この精度とスピードなら、このクラス」
講師には評価の目安があり、厳密すぎるほど、レベル分けがなされる。
その世界に慣れると
「このクラスだから私はまだウィスパリングが出来なくて当然」とか
「この分野は未習熟だから出来なくても仕方ない」とか
無意識に自分で線を引いてしまうことに、慣れる。
「まだ上のクラスに行ってないんだから、私のレベルはこれくらいだわ」
と見積もりを立ててしまう。枠の中でものを考えてしまう。
で、社内通訳はそうじゃない。
世間で「私は通訳者です」と言ってみると、世間の常識はそうじゃない。
通訳者はなんでも訳せるし、なんでも聞き取れる
と思うのが普通の反応だ。
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社内通訳をやってみると、びっくりする。線引きがない。
せっかく同通の訓練したのに活かせてない、と思うこともあれば
びっくりするほど難易度の高いものを依頼されたりする。
私レベルの通訳者にそんな難易度の高い案件を頼んだりしないよ、ふつう!
とこっちは思うけど、頼むほうはそんなこと、知ったこっちゃないのである。
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「私の通訳レベルはこれくらいだから」と
枠を決め込むことに、慣れてしまっていると自分で痛感する。
もちろん、いきなり同通しろとか、公の場で公式に通訳しろとか、何の情報もなしにぶっつけ本番でやれ、とか、そういう技術的に無理な事ははっきり無理と言う責任があるし、代替案を出すし、改善できる主張ならリクエストを入れる。
例えば逐次の時は数センテンス発言したら通訳が入るからポーズを置いてね、とか
そういう基本的な注意事項はこちらから説明する義務がある。
ただ、基本的には「なんでもできるようになる」という姿勢で取り組まないといけないよなーと思う。
いつまでも、「通訳学校ではこうでしたから!」
なんていう言い訳が大きな顔して通じると思ってたら、大間違いだ。
「一体、いつまで自分に線を引いてるつもり?」
「いつ成長するんだよ??」
と自分にツッコミを入れたい。
こんなに難しいテーマのものができるか!?
と最初は必ず戸惑う。でもやりだしたら慣れる。
もう、その話が来た時点でチャンスだ。
スタート時に「私には出来ないかもしれない」と思いながらやるのは
もうよそう。
「私にも出来るとは思うけど、大変だなあ」くらいの感覚で取り組もう。
じゃないと出来るものもできなくなっちゃう。
しかもそういうチャンスは黙ってたら来てくれない。
自分の実力にぴったりで時期もばっちりで条件も完璧にそろっているものが、向こうから来てくれないかなと待っていても、当たり前だかそれは来ない。
誰かが「はい、これあなたにぴったり。どうぞ」と親切にチャンスを持ってきてくれることは
きっとない。
だからチャンスのサイズに合わせて、自分もデカくなっていかないといけないんだわ。
それはきっとエキサイティングで楽しいことなんだ、
と思う。
しかも通翻の世界は、30代でもまだまだ若造。
これから花開くこともある。
それはすごく嬉しくて、楽しいことだと思う。