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お久しぶりです。
通訳という肩書の仕事に転職して2か月経ちました。
都内の某企業にて働いています。
今期は通訳学校に通っていません。仕事が落ち着いてから改めて通うことにしました。
仕事では実践ですが、学校のスパルタで独特なトレーニングも必要と感じています。
(まだ卒業してませんし)
この半年間はいかに自分を高めて、トレーニングに勤しむかをテーマにしたいです。
というわけで、このブログも多少、「通訳学校の勉強日記」という
主題から離れますが、でも大きい意味でテーマから離れていないと思っています。
私はずっと通訳学校に通ってきて、ひたすら勉強してきて
その後、「通訳者としてやっていけるのか?」という、大きいテーマがあります。
当然、そこが一番大事です。
“通訳学校に通っていた人の生き方の記録”という意味では
まだまだ記録できそうなことはたくさんあると思います。
今も壁にぶち当たることは山ほどあります。でも
後から続いて夢を持って通訳学校に入って勉強している人達を見ていたら
私がここにきて挫折しちゃいけない、と思います。
私がここで挫折してしまったら
「通訳者を目指すことって・・通訳学校って・・一体なんなんだろう」と思います。
今まで詳しく書けませんでしたが
私は通訳学校に通っていただけでなく
通訳学校の関係者として働いておりました。
なので通訳学校に関しては、中からも外からも多少詳しいつもりです。
どうしても悩んでいるという方はコメントなどを頂ければ
悩みを共有できることがあるかもしれません。
(解決やアドバイスはできません。ご理解いただけると思いますが
具体的なスクールの名をあげて中身に関して言及もできません)
私個人はまだまだ悩み多き修行者です。
「もうだめかな・・・」なんて真剣に悩んだりします。
通訳者というのは
「どうやったらうまく通訳できるようになりますか?」と相談しても
「勉強すれば?」としか言われないことを
よく分かってるので、人に相談するわけにもいかず
ますます悩みが深くなるという・・
その辺の山をどう乗り越えるか?
という自己マネジメント能力が問われるわけで、
また単に言語能力が高ければいいわけではないので
かなり通訳道というのは奥が深いものだなと思います。
その辺を私は日々考えながら生きています。
また次の日記を楽しみにしています。
現実に直面してがんばっていらっしゃることともいます。
読者としては、今現実にやっている失敗談が知りたいのです。もちろん、自慢話でも結構です。
ルーキーが誰しも直面する、通訳者としての技術的な悩み、その他いろいろ。そのところを笑いあり、涙ありで報告してもらえたらな、と、後に続くものとしてはありがたい、と、おもっています。
同時通訳者の新崎隆子は、NHKに引き抜かれたとき、バインドされた音声がぜんぜん聞き取れなかった、と、言います。
採用した人も大変心配していた、と、言います。
物事をはっきりいう、米原万理さんは、初めての同時通訳でブースに入ったとき、同通ができなくて、ブースを逃げ出したそうです。
かの有名な通訳の神様といわれた、国弘正雄さんは、宇宙船アポロの同時通訳をNHKから頼まれたとき、山梨の清里へ逃亡した、と、告白しています。(当時でも通訳としての第一人者でした)
私の住んでいる西海岸では、蝶が菜の花の上でサンバを踊っています。春の恵みに感謝です。
再現